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泣こうが喚こうが死なない限り明日はやって来る。もう引き返せない、遠いあの日――そんな≪無頼派≫な劇場へようそこ。


プロフィール

ブライアン

  • Author:ブライアン
  • 年齢:33歳
    性別:男
    身長:171cm 体重:63kg
    住所:神戸市
    職業:製造・物流
    主義:捲土重来を期す。
    映画:「東映実録やくざ」
    漫画:「ゴルゴ13」
    音楽:「矢沢永吉」
    一言:お前らが帰るか帰らんかはこっちが決めるんじゃボケ!!!



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時代を背負った男――俳優・菅原文太

「あの頃はのう、上は天皇陛下から下は赤ん坊まで、全部横流しのヤミ米食らって生きとったんで。
アンタもその米で育ったはずじゃ。キレイ面して法の番人じゃ何じゃ言うんじゃったら、18年前、ワレが犯した罪清算してから
ウマイ飯食うてみいや!!」

映画「県警 対 組織暴力」より(1975年東映、主演:菅原文太、監督:深作欣二)


≪時代を背負った男――俳優・菅原文太≫


2014年11月、昭和を代表する二大俳優が亡くなった。

高倉健さん・・・そして、菅原文太さん・・・・・。

自分のような昔馴染みの東映ファンにはかなりショックな出来事だった。
「東映」ならずとも、戦後の日本映画界を背負ってきた二人が残した足跡はその後の世代にも大きな影響を与え続けている。そこで今回は故人を偲んで、前回の高倉健さんに続き、菅原文太さんの魅力を紹介したい。

菅原文太が俳優として確固たる地位を築いたのは、言うにおよばず、昭和48年(1973年)に始まる実録路線第一弾、映画「仁義なき戦い」である。「全共闘世代」の鏡とされてきた高倉健の任侠路線映画の人気に陰りが見え始めてきた昭和40年代後半、連合赤軍による「あさま山荘事件」と「内ゲバ事件」がキッカケで、革命だとか反体制だとかの熱気は一気にクールダウンし、世の中はその反動で「シラケ」ブームが起っていた。
そんな世代をよそに、映画「仁義なき戦い」は封切りされた。物語は戦後直後から広島で実際に起こった暴力団同士の抗争をベースとしている。そこにはかつての任侠路線の美学であった「義理と人情」など微塵もなく、あったのは裏切りと報復の応酬、血で血を洗う凄惨なヤクザの殺し合いだった。そんな世界で義理堅くも内には野心と欲望をギラつかせた若きヤクザの生き様を演じたのが菅原文太だった。当時39歳。革命運動に終止符を打たれて、閉塞した状況にやり場のなかった当時の人々は、その≪若きヤクザの肖像=「広能昌三」≫を熱狂的に歓迎した。
仁侠映画の様式美を否定した演出、正義が勝利しないラスト、上層部に捨て駒として利用されて命を散らしてゆく若者たち――そんな社会不条理に歯ぎしりしながらも、独自の道を切り開いて生きていく男を菅原文太は体現した。
勝利は得られなかったが、完全なる負けを喫したわけではない。「悪」に翻弄されながらも、己の立ち位置だけは死守する。それが「仁義」第1作目の、あのラストシーンの名台詞に繋がる。

「山守さん、弾はまだ残っとるがよ。」


映画「仁義なき戦い」は第1作目のヒットを記録して、シリーズ化された。
本編5作、新編3作、番外編1作と、昭和48年~昭和54年の6年間に計9作が公開された。
番外編以外の8作品は菅原文太が全て主演を務めた。

「実録路線」の雄となった菅原文太は昭和50年(1975年)にスタートする映画「トラック野郎」シリーズにも出演。「仁義」で見せたシリアスなヤクザ役から一転。オンナ好きだが恋には不器用、喧嘩っ早いが義理に厚いデコトラの運転手を演じ、コミカルアクション路線に打って出た。
これも当たり役となり、映画も10作まで制作されるヒット作となった。
高度経済成長に陰りが見え始めた昭和50年代、学生運動の熱気はとうに過ぎ去り、「一億総中流」となって誰もが家庭を持ち、サラリーマンとして均一化した暮らしを送っていた。そんな管理社会の枠の外で縦横無尽に暴れ回るアウトローは、観る者を爽快な気分にさせてくれるのだ。

「バカ野郎ッ!

鬼代官が怖くて、ワッパが回せるか!!」


という粋な台詞が心を熱くさせる。大事な荷物を時間までに届けるにはスピード違反だって辞さないし、警察を敵に回してでも自分の使命を全うさせんとするトラック野郎の心意気は観ていて気持ちがいい。また、トラック野郎主題歌の「一番星ブルース」の歌手も務め、映画をよりいっそう魅力的なものにした。

こうして、名実ともにドル箱スターの地位を築いた菅原文太は、1980年代に入ってからは、テレビドラマにも活躍の場を広げた。凄腕の刑事役や、頑固だが家族想いの父親役などを演じ、男女問わず、その人気を不動のものにした。
菅原文太は新しい時代に入った時、過去の時代の縁を切り捨てたという。それは自身の役柄の幅を広げるためなのか分からないが、80年代~90年代に入ってからも東映からのオファーがあったが、ことごとく蹴ってきたようだ。それ故、円熟期に入ってからの、ヤクザ映画やアクション映画への出演が見られなかったのは残念であるが。
晩年は、山梨県に移住し、俳優業の傍ら農業に従事するとして、無農薬野菜の栽培に心血を注いだ。また一方で、TPPや秘密保護法案、沖縄・辺野古基地建設に反対したりなど、政治的関心を強めて、今のニッポンの現状を憂いた。選挙の応援演説で歯に衣着せぬ物言いで、安倍政権を批判し対立する構えを見せた。
こうした菅原文太の言動は、かつて東映で演じたアウトローの心意気にそのまま重なるように見える。

2012年に俳優業を引退し、政治活動と農業に専念する。
日本の将来のために更なる活躍が期待されたが、2014年11月28日、転移性肝がんのため死去。81歳だった。
かつて日本中の男たちを熱狂させた俳優は、その二世代、三世代後まで影響を与えた。
その足跡がいかに偉大だったか。改めて、素晴らしい役者だった。そして、イイ男だった。

ありがとう、菅原文太さん。その魂よ、永遠に。


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